国の興亡は世の常だが・・・                                       
  近年の日本と周辺諸国、特に我が日本と中国・韓国・北朝鮮との関係に思いを巡らすとき、まず、脳裏をかすめるのは第三次ポエニ戦争で歴史から姿を消した都市国家「カルタゴ」とアーノルド・トインビー著『歴史の研究』である。
 カルタゴについては、いまさら説明するまでもないことであるが、北アフリカのアルジェリアとリビアに挟まれたチュニジアの首都チェニスの北方十数キロの地点に、かつて存在した都市国家のことである。伝説では紀元前814年にテュロスの亡命女王エリッサによって建国されたといわれているが、そのころのフェニキア商人が地中海における貿易の中継基地として建設したものであろう。東・西地中海の要衝に位置し、貿易で栄えた。やがて西地中海の海上支配権をめぐってギリシャと対立、その後はシチリア、コルシカ、スペインなどに勢力を拡大した。最初ローマとカルタゴは友好的で、両国間には同盟が結ばれたこともある。しかし、ローマの勢力が拡大するにつれてカルタゴとの間に利害が生じ、第一次および第二次ポエニ戦争を引き起こした。余談ながら、ポエニとはラテン語でフェニキア人の意であり、カルタゴはフェニキア人の建国によるところから、ローマとカルタゴの戦争をポエニ戦争と呼ばれている。
 第二次ポエニ戦争で勝ったローマは多額の賠償金を追徴することで「カルタゴは当分たちあがれないだろう」と高をくくっていた。ところが当時のローマの政治家カトーが使節としてカルタゴに赴くと、カルタゴは見事に復興していた。その繁栄を目の当たりにして驚愕したカトーは、ローマに帰ってカルタゴ討滅の国論を統一した。後世しばしば引き合いに出されるのが、カトーの元老院での演説である。当時、イチジクの実は高価な果物であったが、そのイチジクが見事に熟している枝を示してカトーは元老院で次のように呼号した。「諸君!これは三日前にカルタゴでとれたものです。わがローマと目と鼻のところに、かくも豊饒な国がある。その繁栄は我々を脅かしている。禍の芽は早く摘まねばならない。諸君!滅ぼさんかな、カルタゴを!」と。 第二次ポエニ戦争に敗れたカルタゴは、ローマに賠償金を支払う他に兵船の制限と、対外開戦にはローマの許可を求めることなどを誓わされていた。ところがカルタゴの西隣の国ヌミディア(現在のモロッコ辺り)がしばしば侵略するため、カルタゴは防衛戦を余儀なくされていた。これはローマにとって絶好の機会となり、条約背反を口実にローマ軍は海陸よりカルタゴの都を攻囲した。
 これが第三次ポエニ戦争であるが、驚いたカルタゴはローマに謝罪したが無駄であった。結局、カルタゴ市民は最後の抵抗をすることになり、家々は壊された戦船となり、貴金属は溶かされて武器となり、女性たちの髪の毛を切って弩級の綱を作るなど抗戦すること三年、カルタゴは遂に力が尽きた。市街は徹底的に破壊され、17日間にわたって炎上した後、永遠に歴史から姿を消した。今から約2159年前のことである。 第三次ポエニ戦争でカルタゴ陥落時のローマ軍の司令官スキピオンは炎上するカルタゴを丘の上から見つめながら、
「我がローマもいつの日か滅びる日が来るのであろうか。」とつぶやいたと言われている。紀元前146年のことである。 そのローマ帝国も紀元395年に東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂し、西ローマ帝国は紀元476年に滅亡し、東ローマ帝国も紀元1453年に滅亡した。  
 ここで、我が日本の歴史に目を向けてみよう。日本は、大陸から離れた島国という地理的条件が有効に作用して、朝鮮半島や中国大陸の諸国家のように異民族から侵略さることはほとんどなかった。例外として、13世紀に元寇(モンゴルの侵略)があり、侵略という言葉は該当しないが、20世紀になって第二次世界大戦で連合国(主として米国)に敗れ、数年間占領された。 敗戦国日本は、戦勝国のアメリカから押し付けられた憲法(日本国憲法)を半世紀以上経過した今日でも改正することなく堅持し、その憲法は他国との交戦権を放棄し、陸海空軍を持たないと明記している。そして、当初はこの憲法に猛烈に反対していた勢力が、今では「世界に類のない平和憲法」と称して改憲に反対している。  
 これまでの為政者たちは、便宜上の解釈で、憲法は自衛権を否定したものではないとして、自衛隊を保持してきた。しかし、この自衛隊は専守防衛を絶対条件として、それに応じた装備しか持ち合わせていない。「攻撃は最大の防御なり」という戦術の基本を法的にも自ら放棄している。国家が自国の独立維持のため、軍隊を持つことは有史以来の常識である。人間だけでなく、他の動物でも植物でも自らを守るための防御手段を持っている。
 
凡そ人間の世界においては、「非武装中立」とか「軍備なき平和」などはあり得ない。国家の独立あるいは平和な国家は、他国の侵略を許さない軍備と国民の心構えによってのみもたらされるものである。今日の日本は、数千年前にカルタゴがローマによって軍備を制限され、防衛戦であっても対外開戦にはローマの許可が必要であった状況よりも始末が悪い。なぜならば、半世紀以上も前に押し付けられた憲法を「平和憲法」と言って有り難がり、自ら交戦権を放棄しているからである。
 近年、中国は、日本固有の領土である尖閣諸島を自国の領土に組み込むべく、海洋警備艇や航空機で日本の領海を侵犯し、自衛隊のヘリコプターやフリーゲット艦に火器管制用のレーダー照射を行った。それだけではない、インターネットで見る中国のマスコミは、中国が日本との開戦準備をしていることや、中国の国民の多くがそれを支持していることを伝えている。他方、
多くの日本人は、中国が軍事行動を起こしたら、日米安全保障条約に基づいてアメリカが加勢してくれるだろうと安心している向きもある。加勢してもらえればいいが、100パーセント加勢してもらえるとの保証はどこにもない。自分の国は自分で守るものである。 そこで、筆者の駄論を綴るよりも、インターネット上で目にした二つの論文を紹介する。
 一つ目は、Yahoo! Jpana の「知恵袋」に投稿者:prisoner of nightmareさんが2012年3月4日に投稿したもので、以下のとおり一部を引用する。

「トインビーの考え方は、当時、特に米国で流行していた環境決定論の影響を大きく受けています。 ASHの中には「挑戦と応答」という概念が出てきますが、これも一種の環境決定論です。そして、環境という場合、それは当然のことながら外部環境を含みます。過酷な条件下で民族が環境を克服しようとする力が文明を生み出し、逆にそれに失敗すれば滅びるのです。そして、日本の場合は 世紀の北条政権の頃にモンゴルの侵略元寇があったことが、それに該当するとトインビーは指摘しており、モンゴルの侵略を退けることで文明が発展し その逆も同様、明治維新も外部環境の影響を受けて成立したのです。トインビーが述べている問題は内部要因と外部要因の両方に関わる問題です。内部における人間環境や外部からの攻撃に対して、環境をコントロールできなくなることで文明が崩壊するとトインビーは述べています。従って、石原氏の理解は我田引水の傾向はあっても曲解とは言えません。トインビーは文明に挑戦する要素の一つとして戦争を挙げ、これに敗北することで文明は弱体化し、衰退すると述べています。戦争などの外部要因も当然含まれているのです。  
 トインビーは5歳の頃に起こった日清戦争での日本の勝利に後に深い印象を受けて、若い頃から日本をある意味特別視しています。日露戦争での勝利は、これをかなり深めたようです。そうしたこともあって、日本を「世界国家性」を持つ独立した文明と捉えています。この辺が「愛国的」な日本人の心をくすぐるわけですが 。そして、トインビーが1929年に太平洋問題調査委員として来日したとき、彼は東京で「日本はカルタゴと同じ轍を踏み、同様の運命を迎えることになるだろう」と警告しています。これは、まさにポエニ戦争に敗れたカルタゴの運命を日本に重ね合わせたものであり、不幸なことに現実にその通りになりました。第二次ポエニ戦争の後、カルタゴは自身の戦争に関わる自決権をローマ帝国に握られ、自らにかかわる重要な事項について自らが決定出来ぬようになる 、隣国ヌミディアの侵入に対して抗戦したところをローマ帝国に難癖をつけられて武装解除を求められます。さすがにこれに従うことはできないため、カルタゴは武装解除を拒否し、ローマ帝国はこれを理由としてカルタゴを完全に滅ぼし、カルタゴ国民は全て奴隷とされてしまうのです。」
(引用終り)

・・・蛇足ながら付け加えると、第二次世界大戦で連合国に無条件降伏した日本は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との他力本願の憲法前文のとおり軍隊を持たず、交戦権を放棄した憲法を押し付けられ、半世紀を過ぎた現在もそれを「平和憲法」と称して独自の憲法を持っていない。正に平和ボケ国家である。さらに、トインビーが述べている「内部要因」には、自虐史観に汚染されて日本を亡国に導いている勢力の存在が該当する。

 次に紹介するのは、トインビーの『歴史の研究』が予言した日本没落の可能性について、exciteブログ「ミネルバのフクロウ」(Weitgeist.exblog.jp)に掲載されていた論文の一部を引用する(出典:http://weltgeist.exblog.jp/10205492/)。

 英国の歴史学者であるトインビーの根本的な考え方は「どんな高度な文明でもいつか必ず内部的に壊れ、没落する」ことである。エジプト、メソポタミア、中国などで高度な文明が発達しながら、いずれも消滅している。ピラミッドを造る技術のあった文明がなぜ滅んだのか。トインビーは豊富な資料を検証しながら、一つの結論に達するのである。  
 滅んだのは技術の進歩、革新が遅れたからではない。それは文明内部から起こる「慢心」が原因だというのである。彼はペロポネソス戦争におけるアテネと、第一次世界大戦がヨーロッパ文明、とりわけイギリスに与えた影響とに同時性があることを感じ、「歴史は現在に生きている」という有名な言葉を残している。そして、現在我々が経験していることは、実はすでにずっと昔にあったことの繰り返しだということに気づくのである。  
 トインビーはいくつもの文明を調べていくうちに、それがどれも同じようなことを繰り返し行って、最終的には滅びていくという結論を見いだす。言い換えれば過去の文明の没落史を見ることで、現代文明没落の可能性を見ていることになるのだ。  
 文明は最初は小さな異端的集団から発生し、次第に巨大化して一つの文明圏を作る。最初の頃は創造力にあふれ、人々の生活は活気に満ちたものになる。トインビーはこれを「挑戦と応戦」と言う。彼はこのことをキリスト教的に解釈し、神は人間に試練として「挑戦」を与え、人はそれに「応戦」して創造力を発揮するのである。このことを「遭遇」という言葉で述べている。 だが、その応戦力も成果を上げるようになると、やがて慢心によるマンネリ化を産む。欠乏は創造の原動力であるが、満腹は怠惰を生み、創造力をそいで行く。こうして、文明没落の萌芽が現れてくるというのだ。
 かっての日本が発展した歴史を見れば、それが良く分かる。明治維新以降、日本は「西洋に追いつけ、追い越せ」のかけ声で世界第二の経済大国にまでのしあがった。それは文明開化で知った自分たちの貧しさを「挑戦」と受け止め、より良き社会をめざして「応戦」した結果にほかならない。
  しかし、今、その頂点にまで登り詰めて、登るべき山の頂も足下になってしまった日本は、目標を失ってしまった感がある。団塊の世代で見られた「より良い社会を作るための挑戦と応戦の精神」が、その後に続く世代に感じられない。額に汗して働くのはダサイ男のやることだ。楽して金を儲ける拝金主義が横行し、怠惰が蔓延する。日本全部が息が詰まりそうな閉塞感の中に落ちこんで行こうとしている気がしてならないのである。  
 トインビーは成熟期の文明は中から腐り始めるが、その文明の恩恵が及ばない辺境では新たな動きが現れ、それがやがて力を付けると、自分たちを抑圧していた文明を滅ぼして新たな力強い文明を作り上げていくと言っている。日本の立場からみれば、辺境で現れる挑戦者は中国であり、やがてはこの国の強大な力が周辺国にも及んでくる。そのとき日本は世界の中で指導的な立場に立つのではなく、すでに終わった国として屈辱的な立場に立たざるを得ないことになるのだ。  
 歴史は繰り返す。隆盛と没落、挑戦と応戦。トインビーの予言は今の日本を見ると、限りなくそれに近づいている気がする。トインビーは、隆盛期においても慢心せず創造的力を発揮すれば、没落の危機は回避されると言っている。しかし、それは我々が絶えざる努力を重ねることで達成できるのであって、少しでも慢心した気持ちを持てば、創造力は枯渇し没落への道を進まなければならない。歴史の研究は現代の危機を伝える新たな黙示録なのだ。
(引用終り) 

 これから50年後、あるいは100年後、いや300年後・・・1000年後、「朝鮮半島の東の島々は昔、日本という国だった」と後世の歴史教科書に載る時が来るかもしれない。トインビーが言ったように、「国家の興亡は世の常」であるから、将来そのような歴史の結末があっても仕方ないことであろう。しかし、トインビーはこのようにも言った、「隆盛期においても慢心せず創造力を発揮すれば、没落の危機は回避される」と。

 トインビーが指摘するように、
今の日本は中から腐り始めている。日本は、このまますでに終わった国として屈辱的な立場を甘受するのか、それとも努力を重ねて日本の独立を少しでも未来に繋げるのか、今こそ日本は独自の憲法を制定し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との他力本願ではない憲法を真剣に考えて行動すべき時である。
 日本は今、独自の憲法を制定し、自虐史観を排除した教育と社会の構築をしなければ、
朝鮮半島の東の島々は昔、日本という国だった・・・と後世の歴史教科書に綴られる時が来るだろう。これでいいのか日本? 

(2013.2.14 石戸勝夫)