強き者には屈し、弱き者には横暴な韓国の「反日」を整理する 
  <3>小中華思想と韓国の反日教育    
1.小中華思想・事大主義の朝鮮/韓国
 まず、「中華思想」であるが、「中華思想又は大中華思想」とは、「自分たちが世界の中心であり、中心から離れたところの人間は愚かで服も着用しなかったり獣の皮だったり、秩序もない」と考えていた中国人の思想であった。
 それに対して「小中華思想」は、自らを「中国王朝(大中華)と
並び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想で、この思想にどっぷりつかってきたのが朝鮮(今の韓国と北朝鮮)である。また、事大主義(じだいしゅぎ)とは、大に事(つか)えるという考えと行動を表す言葉で、「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった大国に媚びへつらう卑屈な政策を指すときに用いる。
 日本にも中国の王朝に朝貢した歴史はあるが、607年に小野妹子が大唐国に国書を持って派遣されたとき、その国書に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されていて、隋の煬皇帝を激怒させたという。煬帝が激怒したのは倭王(日本の天皇)が「天子」を名乗ったからで、このころから日本は中国に臣下扱いをされること良しとしなかったことがわかる。また、南北朝時代の懐良親王が、明の太祖からの朝貢を促す書簡を無礼である使者を斬り捨てたが、これらは中華中心の華夷観を否定し、
中国と対等外交を志向した表れである。つまり、朝鮮のように中国の属国にならなかったのである。
 ところが朝鮮では中国王朝に従い、積極的に中華文明つまり儒教及びそれに伴う華夷観を受容し、中華に同化することで自国の格上げを図る道を選択してきた。朝鮮は本来の華夷秩序においては
夷狄に相当するものであったが、自らを「中国王朝と共に中華を形成する一部(小中華)」と見なそうとしたのである。朝鮮の中国王朝に対するこうした姿勢は政治的には事大文化的には慕華(中華を慕う思い)となり、政治的文化的に中華に従うものとして整合性の取れたものであった。しかし朝鮮は時には漢民族以外の中国王朝(金や元、清など)に事大を強いられることもあり、これを事夷と呼び、華夷観と政治的現実の狭間で苦しめられることとなった。
 一方、自らを小中華と見なすことは、周辺諸国を野蛮な夷狄、禽獣として他者化することも意味していた。この自らを華、周辺諸国を夷とする姿勢は、文化的優越主義に止まらず政治的地理的世界観にも表れ、現実はどうであれ「
朝鮮は中国王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させている」と解釈しようと志向した。例えば李氏朝鮮初期の1402年に製作された「混一疆理歴代国都之図」では、中国が世界の中心に位置し、朝鮮は実情よりかなり拡大された形で描かれている。それに対し日本、琉球、東南アジアはかなり小さく描かれ、方角も誤って描かれている。女真族の居住地であった中国東北地方は曖昧なまま処理されている。
 つまりこの地図が描き出した世界観は、明と李朝が中華でありそれ以外の地域はであるとするものであった。こうした論理は、時に国内にも向けられ、中華文明を身につけていない者は同じ朝鮮人でも差別化されることに繋がった。李朝後期の
両班達は、自身を「礼義を識り、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の体現者」と捉え、一方庶民を「夷狄禽獣の類い」と階層的差別意識を露にしていた
 朝鮮のこうした積極的な中華文明受容の姿勢は、中華に同化することを目指したものであることから、同時に朝鮮独自の文化の発展を阻害することになる。一例を挙げると、李朝前期の世宗が朝鮮独自の文字、ハングルを制定しようとしたとき、官僚を含む知識人階級から「捨中国自同扵夷狄」(中国を捨て夷狄に同化する)行為だと反発を受け、ハングルは李朝末期に至るまで諺文と呼ばれて蔑まれ正規の文字になることはなかった。こうした中華文明を尊び独自性を排除しようとする考えは儒者共通のものだが、小中華思想を掲げ中国に倣って科挙体制を取り入れ、儒教を支配理念としていた朝鮮において特に顕著に表れることになる。
 この朝鮮中華思想は日韓併合により李朝が滅亡するまで李朝知識人の支配理念であり続け、開国期の欧米を「洋夷」
日本を「倭夷」とする鎖国攘夷の思想(衛正斥邪)へと連なり、朝鮮における近代的民族主義形成の基礎となった

2.反日教育の概要
 日韓併合後、日本に遺恨を抱くかつての朝鮮支配階級の両班(ヤンバン)によって反日活動の組織が作られ、その中から頭角を現した李承晩は日本の敗戦後、アメリカ合衆国の後押しで建国した大韓民国の初代大統領になった。 李承晩は、彼が朝鮮の独立運動にかかわっていた経歴にも象徴されるとおり、日本を激しく嫌っていた。そして、韓国の国民の目をそらすために厳しい反日教育を実施し、大統領就任後は反民族行為処罰法を作って親日的な人々をすべて追放し、もはや反日でなければ韓国では生きられないようにした
 例えば、大韓民国の成立直後、当時はまだ日本統治時代をよく知っている韓国国民が多く居て、公の場で「日帝時代はよかった」とか「今の政府はだめだ」などと批判をすれば、そのすべてを政治犯として投獄し、拷問や処刑を行った。その数は、大韓民国成立直後の2年間だけで日本統治時代の約30年間の投獄者数を超えたと言われている。
 台湾と韓国は共に日本の支配を受けた国であるが、台湾は日本に比較的友好であるに対して、韓国人の日本人に対する
すさまじい憎悪はまさに反日教育の成果の賜物であり、韓国の国定教科書で親日派は「売国奴」「国賊」「非国民」として切り捨てられ、併合中の日本の功績にはほとんど触れず、「いかに悪い日本に抵抗して戦ったか」との韓国の歴史学者たちの恣意的な捏造と歪曲によって作られた教科書で教育してきた。
 近年の韓国では、世代交代により戦前の状況や制度など当時のことをよく知らない世代が多くなっており、反日教育がそのまま人格形成にも及び、竹島問題などでは逆に国民が圧力をかけ国家政策に大きな影響を及ぼしている。
 また阪神大震災や東日本大震災の際には多くの韓国人が「天罰だ」と歓喜するなど、日本が不幸や天災に見舞われるたびに国を挙げて大喜びをする傾向にあり、韓国における反日という社会病理の根深さと深刻さの度合いが、極めて危険な水準に達していることを物語っていると言える。
 李承晩大統領が作った歴史修正主義は現在に至るまで延々と受け継がれている。

3.対日蔑視の韓国起源説 
 韓国起源説(かんこくきげんせつ)とは、韓国の個人・団体などが、他国の文化などの起源・伝播を朝鮮半島に求める、根拠不十分で非合理な説のことである。韓国起源説の主な対象は、日本文化と中国文化をはじめ、インカ文明・西洋文明・生態系まで多岐にわたり、有形・無形の文化だけではなく高名な歴史上の人物等のあらゆる分野が対象となっている。これらの主張の根拠は似非科学から語呂合わせや民間語源、一切根拠の無いものまで多岐にわたり、韓国内や海外で広く流布されている説から韓国内ですらほとんど受容されていない説まで様々である。
 ただし、韓民族優越主義的な視点で主張される点では広く共通しており、特に日本文化に対する起源説の主張では、小中華思想と公教育に基づいた強い対日蔑視の視点で主張される事が多く、様々な日本文化が剽窃され韓国文化として外国に宣伝されている。 このような起源主張は韓国以外にも存在するが、韓国起源説の特異な点は、他国の起源説とは比較にならないほど対象分野が広く、頻度も高い上、宣伝活動が国内のみならず世界を意識したものであるが故に組織的・大規模で、自民族優越主義的であり、文化の発現、革新、発展、継承を無視しており事実誤認、歴史歪曲、捏造が多い
 韓国起源の対象となっている事物は日本のものが最も多く、現在も報道などを通して様々な事物に対して唱えられ続けており、特に
ソメイヨシノ韓国起源説は、桜の季節になると毎年のように韓国の各種メディアで報道され続けている。韓国起源説の対象は、侍、日本刀、剣道、空手といった武術・武道関連、歌舞伎折り紙といった伝統文化、寿司沢庵といった食品、「わっしょい」等の様々な日本語の語源、東洲斎写楽天皇などの著名人物、熊本城日本庭園勾玉といった有形文化財、ソメイヨシノや秋田犬のような動植物にいたるまで、分野や有形無形を問わず、日本のアイコンとされる様々なものに対して主張されている。また、主張の主体も、一般人、新聞記者、大学教授、作家等多様である。傾向としては、原則として韓国の自民族優越主義が根底にあるため、好ましい有名な事物に適用される一方で、有名であっても日本色が強すぎた文化(桜)や、好ましくないと考えられていた文化(侍や切腹)については日帝残滓というような形で蔑まれ、ある時点においてまで起源説が主張されないこともあった。しかし、映画などを通して侍や切腹、武士道が高潔な姿として認識されるようになると、一転して起源説が唱えられるようになった。【参照:クリック→「韓国起源説の一覧」】

4.事大主義・小中華思想・儒教・属国史
 朝鮮半島の歴代王朝は長期間に渡って中国大陸の歴代王朝に服属・朝貢しており、例えば新羅は当初は韓 (戦国)・倭の属国であり、その後北斉(北朝)・陳(南朝)・隋・唐に朝貢し服属するようになる。高麗は宋・契丹(遼)・女真(金)・明に朝貢、元に服属し、更に倭の属国でもあった。李氏朝鮮は明・清に朝貢していた(日清戦争まで)。これらの歴代王朝の多くは中国歴代王朝による冊封を受け、朝鮮半島では中華文化に対して卑屈なまでに尊ぶ事大主義と、自らを中華の一部と見做して「劣等な周辺諸国」に対して優越すると信じる小中華思想の時代が長く続いた。
 近代に至り、宗主国である清が日本に日清戦争によって敗れると小中華思想は現実面で立ち行かなくなる。小中華思想の上では劣等でなければならない日本によって併合・近代化され、日本文化が大量に流入すると、日本に対する劣等感や反日感情が広がった。第二次世界大戦後に独立したが、国民国家形成と国際的な認知を得るために必要な自民族の歴史と文化に基づいたアイデンティティーが不足することとなった。そこで、既に世界的に認知度の高い日本文化や中国文化などを韓国起源と剽窃することで、国家アイデンティティの形成、海外からの認知向上、自国を併合地化した上に、長年大国として君臨してきた日本・中国に対する劣等感の克服を同時に、容易に果たそうとしていると考えられている
 また、このような小中華思想に儒教思想や民族主義が加わることによって
「優越な長男の中国と次男の韓国(朝鮮)、劣等な三男の日本」「優越な母の韓国と劣等な捨て子の日本」という認識が発生し、さらには、  
・「先進的で文化的で優秀な朝鮮が、未開で野蛮で劣等な日本に先進的な文明を授けてやった。」
・「日本は韓国の優れた文化を受け入れただけの文化劣等国」
・「(日本は)有史以来一枚見下げるべき文化的劣等者」「全ての日本文化は朝鮮に源流がある」
・「百済人が日本を建国した」

という歴史観が広く浸透し、日本文化に対する韓国起源説の温床となっている。
 このような日本蔑視は、日本列島を指す島国」という言葉が「劣等で未開」という意味で使われていることからも伺え、駐日韓国大使がテレビのインタビューで使うまでになっている。また、韓国マスコミも、「チョッパリ」「ウェノム」「イルボンノムドル」などの日本人を指す侮蔑語を日常的に使用し
・「古代に韓民族の中の質の悪い犯罪者を「おぼれ死ね」と丸太に縛って海に流して島にたどり着いたのが国際的なならず者の低質
 日本民族の正体だ」
・「『日本猿』と『チョッパリ』、どちらが日本人の呼び名に相応しいか?」
・「裸で魚を獲っていた人に我々が文化を伝えてやったのに何を言ってるんだ」
・「『倭人』という言葉がある。とても小さくてみすぼらしいという意味の倭だ。人間の度量が小さくて狭い場合に私たちは『小さ
 い奴』という言葉を使う。日本はそのような種族だ。」
・「『日本猿』という呼称がある。陰湿で凶悪で他人の真似はうまい人に、よく『猿のような奴』と非難する。日本はその猿のよう
 に卑怯な種族だ。」

などと、極度に侮蔑的な対日論評を日常的に行っている。このように、韓国社会全般では「韓国人の優秀性」と「日本の劣等性・未開性・野蛮性」を扇動する傾向が強く、韓国起源説が発生しやすい環境が醸成されている。
 また、自著の中で水野俊平(野平俊水のペンネームでも知られている)は韓国の「情」に言及している。朝鮮半島史は一貫して外敵との戦いの歴史(周辺の強国に侵略や占領され、事大する歴史)であり、「偉大なる民族史」に憧れる心情は「理解できないことでもない」としている。また、韓国大衆の間で、「朝鮮半島史が日帝や親日派により不当に矮小化された」と信じられている為、「植民地史観から歴史を回復(復元)する」という名目で行われる起源説の主張が非常に受け入れられやすく、正統派の歴史学者が偽史や起源説に異議を唱えにくい状況になってしまっていると分析している。また、日本人学者が起源説を否定した場合「歴史を歪曲する日本の右翼学者」とレッテルを張られ、深く議論されることはまずない。そのため、韓国の学会ですら全く認められていないか疑問視されているような起源説であっても、否定する言説が表れないため、韓国大衆に「事実」として認識され広まっていくケースが多いとしている。

5.韓国の歴史教科書 
 上記のような「朝鮮民族の問題点」を払拭するために行われた「国籍ある教育」に基づいた韓民族優越史観で編纂された韓国の国定教科書が韓国起源説を加速させている側面がある。教科書では、「先進的な韓国が未開な日本に文明を授けてあげた」という歴史観が一貫して強調されており、日本に対して、日本の独自性の強い社会・文化や、日本が最も影響を受けた中国との東シナ海交易ルートや、日本から外国への文化伝播が存在しないかのような誤解を与えている。また、朝鮮半島が歴史上ほとんどの期間中国の従属国で政治・社会・文化の面で隷属していたことに殆ど触れられていないため、韓国人が「歴史的に朝鮮は文化先進国」という認識を一層強くする原因となっている。
 例えば、小学校の社会科教科書の日本関連では、
「百済の文化を日本に伝えてあげた王仁」
「(三国時代)わが先祖は発達したわが文化をとなりの日本にも教えてあげた」
「高句麗の文化を日本に伝えてあげた」
「今も日本人は、王仁を日本文化の先生として崇めている」

等と朝鮮半島から日本への文物の「授与」が執拗に記述されている一方で、日本から朝鮮半島への影響については「残虐性」や「野蛮性」が誇張されて執拗に記述されており「
日本人は文化的に劣等」という認識のもとで一貫して記述されている。小学校4年生2学期、道徳副読本89ページには、「韓民族は強靭な所があります。中国歴代王朝、日本など周辺の国々がしつこく侵略を試みましたが、結局はすべて失敗してしまいました。(中略)例えば韓半島に韓民族ではなく日本や他の民族がいたらすぐに亡びたはずです」と、ここでは「日本人が半島に住んでいたら滅んでいた」とまで明記されている
 また、高校の歴史教科書では、
「倭族は大概東北アジア系統の族属と南洋族そしてアイヌ族の雑種」
「優秀な朝鮮民族と劣等な日本民族」
「東アジアの文化的後進国であった日本」
「朝鮮半島の先進文化を未開な日本に教えてあげた」
「近代化以前の日本の文化はすべて偉大な先進文化を持つ朝鮮半島から由来したもの」
「野卑な日本はいつも朝鮮半島を侵略して財物を奪っていった」

と示唆するような記述で一貫されていて「
東アジアで文化的に劣等だった日本」とまで明記されている。
 王仁が日本へ儒教と漢字を伝えたとされるが、当時の朝鮮半島の「文化」を伝えたとは書かれていない。また、王仁は日本側の資料にのみに登場する人物であるが、韓国は『古事記』の「応神天皇の命令を受け百済が献上した人物」と言う記述や『日本書紀』等の日本の大国ぶりが伺える記述については「捏造」と激しく否定しており、
資料の都合の良い部分だけ採用し(王仁に関する記述や、高野新笠が武寧王の子孫であると言う記述など)それ以外は無視するという「つまみ食い(チェリー・ピッキング)」をし、二重基準を見せている。なお、実際の王仁は高句麗に滅ぼされた楽浪郡の漢人系の学者であるか、帰化した複数の帰化人学者が一人の存在にまとめられたのではないかと言われている。また、韓国の公教育で教えられている「先進的な朝鮮と未開な日本」という論説は、朝鮮通信使が書き残した日東壮遊歌での記述や、当時の日本の経済や社会や文化の有様から見ても決して史実とはいえない。
 また、韓国の歴史教科書では檀君神話を史実として掲載し、「
朝鮮半島の歴史は中国の歴史よりも長く、世界最古のひとつ」と教えて民族主義を扇動している面もある。この点について、日韓歴史共同研究委員会の日本側メンバーである井上直樹は、「韓国の教科書が朝鮮民族の始祖とされる檀君の神話をそのまま認めるような記述をしているのは、資料考証に基づく結論なのか疑問」と指摘している。
 京仁教育大学校の朴チョルヒ教授は、「小学校教科書には民族文化の優秀性を強調するために他民族を貶す記述も多く、特に、日本人は文化的に我々よりも劣等だと一貫して記述されている」と批判し、小学校4年生2学期の道徳副読本66~67ページには、記者と外国人がキムチの味について話し合う場面があり、キムチの味を問う記者の質問に外国人は「
はい、よく食べます。韓国のキムチはとてもおいしいです。日本のキムチは比較にもならないですね」と記述され、韓国のキムチの優秀性を紹介する為に、日本のキムチを見下すことは、他文化を無視すると同時に他文化に対する偏見を助長しやすいと批判している。また、教科書は、「先進的な韓国が未開な日本に文明を授けてあげた」という歴史観を強調するが、朝鮮が中国から受けた影響は殆ど触れられていない。たとえば、高麗時代前時期にかけて異民族が帰化した数字は23万8000人余りに達する。帰化した漢族は国際情勢に明るく、文芸にたけていて官僚にたくさん進出した。帰化した渤海人は契丹との戦争に参加して大きい功績を立てた。崔茂宣に火薬製造技術を伝えた人物の李元も中国、江南地方出身帰化人である。帰化した女真族は北方情勢を情報提供したり城を築いたり、軍功をたてて高位官職になった者もいる。李氏朝鮮を建国した李成桂は東北面出身でこの地域の女真族を自身の支持基盤とした。開国功臣だった李之蘭はこの地域出身の女真族指導者として同北方面の女真族と朝鮮の関係を篤実にするのに重要な役割を担当した。李氏朝鮮時代、同北方面の領域で領土拡張が可能だったことは女真族包容政策に力づけられたことが大きい。朴チョルヒ教授は、
韓国の社会教科書が過度に民族中心的に叙述され、これら帰化人の存在と文化的影響に対し教科書は沈黙している」と批判している。また、小学校6年生1学期の社会教科書の「一つに団結した同胞」の部分「私たちの同胞は最初の国・古朝鮮を建てて、高句麗、百済、新羅に続いて統一新羅へと発展して来た」との記述に、朴チョルヒ教授は、「教科書では、『古朝鮮が立てられる前の私たちの先祖の生活がどのようだったのか調べてみよう』と記し、旧石器、新石器、青銅器時代を説明し、「まるで旧石器時代から古朝鮮に至るまで同じ血統の民族がこの地域に暮して来たかのように記述されている」と批判している

 (2013.7.13編集、2018.6.20一部加筆:石戸勝夫)

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